2016年11月13日日曜日

物語性について(その2)

前回から引き続きBMさんのネタで申し訳ありませんが、BMさんのファンは中高年が多いことが知られています。

歌詞の内容をみると、とても中高年向きとは思えませんが、聞くと涙を流す人も多いのは驚きです。

私くらいの中高年は、60年代後半から80年代後半まで熱心に音楽を聴いてた人が多いと思います。70年代くらいにロック全盛の時代になって、洋楽・邦楽の区別が意識されるようになったと思います。

洋楽は洋楽として聞き、邦楽は邦楽として聞くのですが、当時は、邦楽は洋楽よりレベルが低いような感じとなっていたと思います(今、聞き直すとレベル的には相違ないと思いますが。)

そんな中でも、邦楽・洋楽の垣根を越えようとトライしていたアーティストも多く、バウワウがレディングに出たり、ラウドネスがビルボードにチャートインしたり、そういうニュースについては、中高年は記憶に残るところであります。

ということで、中高年の音楽ファンには、邦楽・洋楽の事情に関する様々な記憶があるのですが、 BMさんを見ていると、鹿鳴館、武道館、レイトショー、レディング、ビルボード等、昔の記憶を繋いでゆく感覚に襲われます。

そうしますと、BMさんの活動を見ますと、自分の中の記憶が別の物語として再生されます。そのとき、感慨深くなり、泣けることもあるかと思います。

似たような感覚は、シンゴジラという映画を見た時にも襲われました。シンゴジラというのは東日本最震災をモチーフとしているのは明らかと思いますが、映画を見ますと、見る人の震災の記憶を繋ぐような絵作りとなっていますので、脳内で強烈な印象となります。

初代ゴジラがうけた理由も、東京大空襲や原爆投下の記憶が生々しい頃に、都市が破壊されてゆく絵作りとなっていますので、破壊の恐怖がゴジラという物語を通じて自身の記憶が繋がれたためということがわかります。

そうすると、見る人・聞く人の記憶を借りて、独自のストーリーを作ることが、芸術作品には重要なのかと思います。