2020年12月5日土曜日

電気自動車に思うこと。

2030年代半ばに電動車のみとする日本政府の方針が検討されているようです。

電気自動車といえば、私がMOTに通っていた10年前から、いろいろ議論がありました。

10年前の予想としては、ガソリン車はすり合わせ構造、電気自動車はモジュール構造ということで、日本は不利になり、中国は有利になるという感じでした。

そして、BYDのような新興企業が成長し、 タタのような廉価な自動車の電気自動車バージョンが、破壊的イノベーションとして市場を席巻し始めるだろう、というような予想がされておりました。

10年後の答え合わせとしては、上記のような事態は生じず、ガソリン車があいかわらずシェアの上位を占めております。 

ということで、ここで電気自動車がどうなるか、予想をしてもおそらく当たりませんので、予想はしないことにします。

とはいえ、上記は政府の方針となりますので、電動車のみの未来がくることは、今度は確実といえるかと思います。

一つ疑問なのが、電動車を増やした場合、電力はどうするのだろうということです。

今の発電量では足りませんので、発電所を増設する必要がありますが、火力はつくれず、再生可能エネルギーは当てにならずということで、電力が足りません。

中国や米国のように、最新技術にアレルギーのない国は、新型原子力発電所の増設でローコストの電力供給を可能とすると思います。

中国から電気を買うという考えもありますが、安全保障上好ましくありません。

さらに、再生可能エネルギーの高い電気で車を動かそうとした場合には、物流にコストがかかりすぎ、日本の国際競争力も低くなると思います。 

という難しい問題は政府に任せるとして、将来の電気自動車はどうなるか勝手に予想したいと思います。

おそらく、将来の電気自動車は移動手段というより、アンドロイドに近くなるのではないでしょうか。

例えば、牛乳が切れた場合には、電気自動車が近くのイオンに牛乳を買いに行ってくれる、とか、駅で雨に降られた場合には、駅まで迎えに来てくれる、などです。

このような場合、人間が運転する必要はありませんので、無人での移動となります。道路上の車の半分くらいが無人の移動となっているのではないでしょうか。

あと、自動車事故が起きなくなりますので、エアバック等の安全装備が不要となり、衝突安全性も不要となります。したがってシャシーはFRPとか、軽い材料で十分となるかと思います。

自動車損害保険も不要となり、自動車免許も不要となります。

まあこうなると、そもそも自動車を所有する意味もなくなりますので、よく言われるように、共有物になってゆくのかなと思います。

私としましては、ガソリン車に乗れるのがあと10年と区切られてしまいましたので、最後にSR400あたりのバイクでも買って、内燃機関の最後を見送りたいと思います。

2020年11月29日日曜日

発表終了の件

知財学会の発表が無事終わりました。ご聴講いただいた方、まことにありがとうございました。

パワポ33ページでしたので早口でとにかくしゃべりました。今年は会場から質問もなく、内容がよろしくなかったかもしれません。

オンライン会議の問題点は、自分の声がどの程度の大きさで相手に届いているかわからないところです。

逆によいところは、発表に対する会場の反応が分からないこともあり、心が折れることもなく発表を終えることができる点かと思います。

良い学会発表とは何か、となりますと、やはり、会場の方が質問したくなるような、発表内容づくりかな、と思います。

自分の成果をひたすら発表してしまうと会場が置き去りとなりますので、会場から質問を集め、自分の研究を改善するためのヒントとするような感じが良いと思います。

しかし、今年もいろいろありましたが、アウトプットを一つ残せてよかったと思います。今回の発表内容については、どこかで公表できるよう作業を進めたいと思います。

2020年11月26日木曜日

予稿を見ての感想

知財学会ですが、発表者には先んじて予稿が見れるようになりました。

内容をお伝えすることは厳禁ですので、簡単な感想をお伝え?したいと思います。

まず、予稿はカラーでも可というのは去年私が学んだことですが、文字数や行数等も勝手に変更してよいことも今回わかりました。

私は馬鹿正直に、学会HPにアップされていた例のままのフォーマットとしましたが、人によってはぎっしりと小さい文字で書きこんであります。

したがいまして、自分の発表に人を呼びたい場合には、予稿も字を小さく行数を多くして、ぎっしりと書き込むことをぜひお勧めします。 

それで、予稿を見た感想ですが、いろいろ考えている人がいるのだな・・・、というところです。

こういうブログを書いていてなんですが、最近、知財というものへの興味が薄くなり、知財関係の本もあまり買っておりません。したがいまして、知財に対する視野が狭くなってしまったと感じております。

こういう予稿集を見ますと、視野が再度広がった感じがして、これで参加費が3000円なら正直安いものだ、と思います。

印象としては、著作権、商標権、標準化、ビジネスモデルの話題が多いかなという印象です(あくまでも印象です。正確には分析してません・・・)。

特許屋としては寂しい限りです(といいつつ、ブランド・デザインのカテゴリーで発表しておりますが。)

ということで、日曜日の発表に備えようと思います。

2020年11月20日金曜日

発明の未来について・・・

前回、「内容に関しては、できるだけ努力しないで、特許性のある発明をする方法を考えた」などといいましたが、これは当ブログのみの発言となります。

学会では、この点は積極的には触れないで発表としようと思います。これは、上記考えには問題があるからです。

特許法の建前上、進歩性のある発明のみ保護することとなっております。

この理由にはいろいろあると思いますが、発明は人間の精神活動の成果であり、その人間の努力を評価する、というのがあると思います。 

そこで、努力しないで発明をしますと、はたして法で保護する必要があるのか、という疑問が生じることなります。

上記の考えを表明してしまいますと、このような論点が浮かび上がりますので、積極的に言う必要はないかと思います。

しかし、この論点は5~10年以内に真剣に議論されることとなると思います。それはAIが発明するケースが今後増えてくると思われるからです。

AIは大量のデータに基づいて発明してくると予想されますので、人間には思いつかない奇想天外な発明を多数してくると思います。

現状の審査基準は、人間の精神活動を基準に定められておりますので、人間の精神活動の限界を超えるAIがなす発明は余裕で特許されることになります。

つまり、今の審査基準は人間にはほどよいが、AIには”ざる”ということになります。

そうしますと、審査基準を厳しくするとかの対応が必要となりますが、そうしますと、人間のなす発明は進歩性なしとなり、特許を受けることができなくなる弊害があります。

しかし、そのような時代が来た場合、人間の役割とはどのようになるのでしょうか・・・。 企業の研究所はAIをずらりと並べて、そのアウトプットを見繕って出願したり、製品化したりするようになるのかもしれません・・・。

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