大河ドラマの真田丸が先日最終回を迎えました。個人的には、可もなく不可もないというような印象でしたが、話の流れがよいためか、めずらしく第一話から最終回まですべて視聴できました。
話としましては、前半は父の真田昌幸の戦い、後半は子の真田幸村の戦いが描かれていたと思いますが、前半の方が面白かったように感じます。
それは、なぜかといえば、真田昌幸は大名(弱小ではありますが)であったのに対し、真田幸村は最後まで一武将に過ぎなかったためかと思います。
真田昌幸は大名でしたので、まず、どの大名と組むか、どの大名と敵対するか、政治的な検討を行い、大きな戦略を定めてから、籠城、奇襲などの戦術を選択できます。
一方、真田幸村は、一武将にすぎませんでしたので、戦略にかかわることができず、出城を築くなどの戦術を実行するのがせいぜいでした。
よく言われますのが、戦術のミスを戦略でカバーすることは可能であるが、戦略のミスを戦術でカバーすることはできないとされます。
真田幸村が、どんなに優れた戦術を用いても、戦略が貧弱な場合には、戦いに勝利することは不可能です。(もちろん、真田幸村はそんなことは百も承知で、大阪方に味方したとは思います。)
ということで、テレビを見る方としては、そのあたりの行き詰まり感が、なんとも息苦しく感じました。
とはいえ、こういう話は現代にも通じるものがあります。
技術で勝って事業で負ける・・という話しがありますが、技術というのは戦術で、事業は戦略に相当します。
日本の技術者は優秀ですので技術で負けることはないと思いますが、事業戦略が良くなかったためか、日本企業の競争力は低下しつつあります。
逆にいえば、日本の技術者は、経営戦略がうまくいっている企業に転職すれば、その能力を最大限に発揮できるのではとも考えてしまいます。
真田幸村は戦略が巧みな大名(徳川家)に寝返ることはありませんでしたが、そのために、豊臣とともに死ぬことになりました。
もし自分が優秀な技術者であったなら、経営戦略の巧みな企業に転職して力を発揮するか、それとも、企業に残って最後まで奮戦するか、どちらの選択をするのか、いろいろと考えてしまいます。