先日、ある音楽評論家が「BABYMETALは水商売」と発言し、大きな波紋を呼びました。
BABYMETALがメタルか否かという議論は、とうの昔に決着がついたものだと思っていました。象徴的だったのは、2014年7月のイギリス「Sonisphere Festival」です。巨大なメインステージに立った彼女たちのパフォーマンスに、本場のメタルファンが熱狂し、巨大な「Wall of Death」が自然発生したのです。この出来事で、彼女たちが世界に認められたのは明らかでした。
なぜ今、これほどまでに的外れな評論が生まれてしまったのでしょうか。そこには、専門家が陥りがちな「思考の罠」があるのかもしれません。
なぜ評論家は「ズレた」発言をしたのか?
音楽に限らず、何かを専門的に評論・分析するには、物事を整理するための「カテゴリ(分類)」が必要です。
件の評論家は、ビートルズが活躍した1960〜70年代の音楽シーンを基準に物事を考えていたのでしょう。彼の頭の中にあるカテゴリには、当然ながらBABYMETALのような新しい音楽は存在しません。
結果として、既存のどのカテゴリにも当てはまらないBABYMETALを、理解できないものとして「水商売」という安易な言葉で片付けてしまったのではないでしょうか。
年を重ね、成功体験を積むと、新しい情報を取り入れて自分の「カテゴリ」を更新する作業が面倒になりがちです。これが、世間との認識のズレを生み、「老害」と呼ばれる発言に繋がるのかもしれません。
これは音楽だけの話ではない
このような「カテゴリの罠」は、あらゆる分野で起こり得ます。
私自身の経験で言えば、2023年に初めて生成AIに関する講演を依頼されたとき、テーマは「DX」でした。当時、生成AIは「DX」や「RPA」といった既存のビジネスカテゴリの文脈で語られることが多かったのです。
しかし、生成AIはそれらとは本質的に異なる可能性を秘めています。既存の枠に当てはめることに違和感を覚えつつも、当時はまだ「生成AI」という新しいカテゴリが社会に浸透していなかったため、そのように説明せざるを得ませんでした。
今や2025年。もし未だに「生成AIはDXの一部でしょ」と言ってしまえば、時代遅れの「老害」扱いをされてしまうかもしれません。
思考のアップデートを怠らないために
新しい現象や文化が生まれたとき、私たちはつい、自分が知っている古い「ものさし」で測ろうとしてしまいます。
最近、世界的に「シティポップ」という音楽カテゴリが人気ですが、1980年代の音楽をリアルタイムで聴いてきた私のような人間にとっては、どうにも「ニューミュージック」という言葉のほうがしっくりきます。
この「しっくりこない」という感覚こそ、自分の思考が古くなっているサインなのかもしれません。
時代に合わせて自分の中の「カテゴリ」を常に更新し続ける。その謙虚な姿勢こそが、「老害」と言われないために最も大切なことなのだと、自戒を込めて思うのです。