最近は少なくなりましたが、駅前で楽器を演奏して歌っている人がいます。こういうのを聞くととても迷惑な気分になることが多いです。
それはなぜかと考えましたら、駅前で歌うような素人の作る曲というのは、自己顕示欲を満たすためのものが多く、歌詞なども自分の感情を押し出すのみであり、聞く人のことを考えていないからと思います。
多くの人は他人に興味はありませんので、通勤通学途中に、無理やり聞かされても迷惑というわけです。
そう考えますと、プロのつくる音楽というものは、自分の考えを押し出すというよりは、聞く人の感情を引き出すような仕掛けがされていると思います。
聞く人の記憶につながるような言葉を選んで歌詞として構成し、聞く人の感情を引き出すことにより、自分の曲として聞けるようになり、それでCDを買おうという行動につながると思います。
もちろんそういう歌詞を書くためには、詞の勉強も必要ですし、生きた言葉とするにはそれなりの苦労をした人生経験も必要かと思います。
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特許の仕事も言葉を使って明細書という文章を作るという点で、言葉を使用する仕事といえます。
明細書作成は国語的というよりは、機械設計、回路設計、プログラミングのような世界に近いです。論理に基づいて言葉を組み立ててゆくのみです。
そんな特許の世界ですが、感情を引き出そうと努力する場面があります。
それは、審査・審判・訴訟の段階において、審査官・審判官・裁判官に、発明の進歩性を主張する場面です。
少々まずいのは、自分は進歩性があると思う、とか、特許すべきとか、一方的に自分の感情を審査官にストレートにぶつけてしまうケースです。
しかし、これでは、審査官の心証は動きませんので、ほとんど意味はないと思います。そうすると、、審査官の感情を引き出して共感を得て、進歩性を認めさせる必要があります
たまに見かけるのが 、審査官の悪い感情を引き出す言葉の使用です。
例えば、「審査官殿の認定は片腹痛い」、「笑止千万」、「技術がわかっていない」、「愚かである」・・・、等、読んでいるだけで怒りが生じる言葉です。
もちろん、 審査官が怒れば、非論理的になり、進歩性否定のロジックに穴があけられるという高等戦術もあると思いますが、たいていは、良い結果につながらないと思います。
できれば、審査官の良い感情を引き出したいところですが、 ポイントは「意外感」となると思います。
これまたまずいのが、法律論のみで攻めることです。例えば、組み合わせの動議づけや、阻害要因などを一生懸命論じることです。
しかし、審査官も、そのあたりの検討は十分にやっていますので、声高に主張しても意外感がなく、あまり効果的ではありません。
そこで、意外感を演出するには、技術論に持ち込むことが効果的と思います。
審査官は技術開発を実際にしているわけではありませんので、技術開発の細かい点まで検討できているわけでもありません。そこで、技術論に持ち込めば意外性が出てきます。
例えば、技術的な背景、技術の詳細、発明をなすことが困難であった技術的理由、などです。そして、技術論を法律論に変換することにより、進歩性があるとの心証を得ることができるかと思います。
もちろん、技術論で攻めるにしても、うわべだけの言葉では死んだ言葉となってしまいますので、その技術分野の深い知識や、開発に苦労した経験に基づく、生きた言葉にしなければなりません。
そうすると、企業での開発経験がある弁理士に文書作成を依頼したり、発明者の生の言葉をつかって反論したりすることが有効となります。
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ということで、音楽にせよ特許にせよ、仕事として言葉を使うには、たゆまぬ勉強と血肉となる経験が必要ということになるかと思います。