神様といっても宗教の話ではありません・・・。
自分は機械を専門としておりますが、この分野の発明は、まさに自然法則を利用した技術的思想の創作といえます。機械以外の分野も同様です。
したがって、技術者は自然法則と向き合い、黙々と研究室にこもって技術開発を行うことが一般的といえます。
黙々と孤独な作業をして自然法則と向き合うことができるのが、技術者に必要な特性だったといえます。
とはいえ、最近こういう考えはあてはまりにくくなっていると感じます。
例えば、情報通信関係の明細書を書きますと、自然法則部分はほとんどなく、ほぼ人為的取り決めの内容となります(もちろんそれでは特許されませんので、登録性を充たす記載としますが)。
そうすると、何がどうなっているか、取り決めを発明者に確認しながら、明細書を書くことになりますので、しんどい作業となります。
さらに重大なのが、人為的取り決めを作っている人が、特許権をとるのに、とても有利ということです。その取り決めを作っているのですから、その内容を熟知しており、有効な特許権をとれるのは当たり前のことです。
そうしますと、この分野の技術者に必要なのは、 自然法則と向き合うような特性だけではなく、自分で取り決めを創り出し、それを他者に強制させるような影響力といえます。
こういう話は情報通信の話だけといえ、機械や化学はやはり自然法則のウェイトが大きいといえますが、最近はそうも言えなくなってきました。
その理由は、標準化のためです。
例えば、リニアモーターカーの浮上量は運転に支障がなければ、自然法則上、いかなる数値でも構いませんが、標準で10cm以上と定められた場合には、 人為的取り決め上、その数値を守る必要があります。
とはいえ、あんな重たいものを10cm浮かせるというのは大変な技術ですので、その技術を実現できる企業はそうはないと思います。また、技術力のある企業はそういう技術を次々と特許化すると思います。
そうすると、技術力がない企業は、そういう企業からライセンスを受ける必要がありますので、あまり儲からないということになります。
そうしますと、これからの技術者は自然法則の理解を進めるのは当然ですが、それだけではなく、あらゆる取り決めを定め、標準により他社に影響力を及ぼすような政治力も必要となると思います。
今後の技術者は、神様が作った世界を理解するだけではなく、自分がその技術の神となって世界を創り出す、というようなスタンスが必要となるのではないでしょうか。